食べて寝ると牛になる

最近、贅肉が増えてきたように感じる。年齢のせいなのか、食生活のせいなのか、生活環境のせいなのか。原因には幾つか心当たりがあるものの、一朝一夕に改善できる事柄であるのならば贅肉などいうものはこの世に概念ごと存在しないはずである。


最近、贅肉が増えた。肉体にも精神にも、生き方にも時間の使い方にも。口を開けて物質や情報を浪費しているという実感は、確かに手応えとしてある。どうしようもない。それはそれとして、タイトルの言葉に戻ろう。「食べて寝ると牛になる」という言葉がある。食後すぐに横になると太るので、食後はストレッチや軽い運動をすると良い。という昔の賢い人の親切心の発露がこの言葉である。
なんとありがたいことか。


しかし、食後の肉体は消化にエネルギーをまわすので、大人しくしている方が体に良い。と言うのが現代の賢い人の考えだそうだ。なんと、昔の賢い人よりも、現代の賢い人の言うことの方が科学とかそういう観点から見ると正しいように感じる。どちらを信じるのはあなた次第、などと言う無責任な投げかけをするかは兎に角。食後は大人しく横になるのが吉であろう。

 

ここに「鶏口牛後」と言う言葉と「果報は寝て待て」という言葉がある。先ほどの「食べて寝ると牛になる」言葉を合わせてみるとどうだろう。食って寝て、じっとしているだけで都合の良いことが起こりそうな気がしてくるではないか。私は先人の教えに従って、食って寝て過ごし、事態が好転するのを待つことにしようと思う。役に立たないような格言や言い回しが現代まで残っているはずがないのだ。やはり昔の賢い人の言うことをしっかり守っていくことが、ひいては平和な営みの継続に紐づいているのだろう。と、結論を出したところで気づいてしまった。困ったことに、食うにも寝るにも糞を垂れるにも、現代社会は金銭を要求してくる。これでは私の慎ましく、賢明な作戦を実行することは叶わない。

 

インターネットに生息している非実在金持ちが言っていた。世の中には「FIRE」という考え方があると。簡単に言うと、労働せずに資産の運用で喰っていく、という生き方である。


労働することなく生きていく理論がすでに確立されている。これは朗報だ。先述した先人の知恵コンボと、この理論を合わせれば完璧だ。私は生涯労働をすることなく、喰って寝て贅肉を蓄えることができるのだ。と、ここまで書いて気がついた。


私には運用できる資産がない。私の自由にできる資産など、2ヶ月程前に購入した電動自転車と、銀行に預けているわずかな預金程度であろう。これでは喰っていくことはおろか、眠ることも糞を垂れることもままならない。思い出や理論や言葉では腹は膨れない。放っておけばお腹が空くだけである。

 

結局のところ、真面目に労働して、生存に必要な小銭を稼ぎ続ける自転車操業をしていくほかないようだ。布団の中でぐるぐると考えを巡らせて見たが、私に出せた結論は何の面白みもないことしかなかった。仕様がないので、明日からも今まで通りの生活を続けていくことにする。せめて日々の営みの中で、腹回りに蓄えてしまった贅肉が減ってくれることを信じて。