「天気の子」ネタバレあり感想

最初に言っておくが、ネタバレありの感想だ。回避したい人はブラウザバックを勧める。あと、賛否の否を扱う文章なので、それが嫌な人も、ブラウザバックするべきだ。

高尚な理論も理屈も無い。天気の子を見て感じた、素直気持ちをつらつらと書いていく。

 

 

 

 

 

映画「天気の子」は、ざっくり言うとマジョリティの無責任な願いに縛られた少女を、無責任にそこから解放する少年の物語だ。古今東西にごまんとあるボーイミーツガールの王道的展開だが、王道に至るには足りないものが多すぎた。そして、今までの新海監督作品とは大きく違う点に、私は面食らった。

まず、登場人物の造形。たまたま拾った銃を捨てずに持ち歩くばかりか、それを他人に向け、あまつさえ発砲する主人公。年齢を詐称し、弟と暮らすヒロイン(未遂だったが、体を売ろうとさえしていた)。大人になれと言うばかりで、その実自身も大人になれない男。

雨の日にのみ東屋に訪れる女性や、進路と恋愛の間に揺れるサーファーとは違う、どこか現実的な汚さをもつ人物たち。

馬乗りになって顔を殴りつけたり、他人に向けて銃を撃ったり、どこか暴力的なシーン。ビルの入り口で惨めにゴミを集め、食べ物も口にせず水を飲んで我慢する貧困と孤独のシーン。美しさとはかけ離れた描写。

 

新海監督の持ち味は何か。それは、画面の美しさと効果的な劇伴が、儚い景色や関係性とかみ合って、どこまでも美しい世界を作り上げているところであると、私は思う。

移ろう景色と共に変わりゆく関係性だったり、時に阻まれて遠ざかる色んなものの距離だったり、雨の日に繰り返される逢瀬だったり、そう言った細やかに気配りされて作られた美しさが、新海監督作品に求められるものであると思う。

しかし、「天気の子」では上記の2点がこの美しさを邪魔する。どこか浮世離れした現実との絶妙な距離感は、現実の薄汚さをもつキャラクターや、暴力シーンによって破壊される。美しい景色や台詞を味わおうにも、またいつ現実が襲ってくるのかという気持ちが邪魔をする。

主人公の、マジョリティを捨てるという選択も、利己的な一時的な感情によるものにしか見えなかった。田舎から出てきて、当事者の方はなにも考えずに勢いだけで行動する姿は、見苦しい。

それを指摘するキャラクターも一切登場せずに、ただただ主人公の間違いが積み重なっていく。彼があの映画で成した善は何も無い。マジョリティを犠牲にしてヒロインを救うならば、それを正当化できるだけの理屈や積み重ねが欲しかった。

「天気の子」という作品は、「君の名は」がヒットした後、雨の後のタケノコの如くポコポコと生えてきたアニメ映画群の1つでしかない。制作したチームが「君の名は」と同じであっただけで、あの作品ほどの盛り上がりも、キャラクターの魅力も、美しさも足りない。二番煎じだ。

 

 

 

「勝負の3話」という言葉がある。アニメ作品は最低3話まで見ないとどんなもんか分からないという意味だ(と私はざっくり把握している)。

「君の名は」から始まる新生新海誠作品の3作目を見るまでは、まだ判断は下せない。しかし、「天気の子」のようにエンターテイメント性に比重を置き、本当の武器を捨ててしまうようならば、アニメーション界は大きな財産を失ってしまうだろう。